執筆者:ワンビ株式会社 代表取締役 加藤 貴
日本サイバーセキュリティ産業振興コミュニティ発足式を振り返って
2025年12月9日。東京で開かれた「日本サイバーセキュリティ産業振興コミュニティ(NCPC)」発足式は、日本のサイバーセキュリティ産業にとって、一つの「起点」となる一日だった。
会場には、大手ベンダーからスタートアップまで、国産のセキュリティ事業者が一堂に会した。
「サイバー攻撃」「経済安全保障」「デジタル貿易赤字」「官民連携」――
それぞれバラバラに語られてきたキーワードが、この日、ようやく一本の“ストーリー”としてつながり始めたと感じている。
私は、ワンビ株式会社の代表として、パネルディスカッションに登壇し、国産セキュリティの現在地と、これから目指すべき未来について議論を交わした。 このコラムでは、発足式で得た手応えを、「経済安全保障」「国産技術」「官民連携」「ASEAN展開」という四つの軸から振り返ってみたい。

1. “守る力”がそのまま“国力”になる時代
経済安全保障の文脈で語られたサイバー
ここ数年、日本でも「経済安全保障」という言葉が急速に存在感を増している。半導体、エネルギー、重要鉱物、そしてデジタル・サプライチェーン。
そのどれにも共通しているのが、「サイバーが破られれば、一気に土台が崩れる」という現実だ。発足式の来賓挨拶では、この点が繰り返し強調された。
特に印象的だったのが、自民党 小林鷹之 代議士からのビデオメッセージだ。経済安全保障の初代担当大臣を務めた経験から、「国家としての安全保障の力は、民間の底力なくして成立しない」という、非常に強いメッセージが発信された。
これまで「サイバーセキュリティ」は、どちらかといえば“コストセンター”や“専門部門の話”として扱われることが多かった。しかし、国家レベルのリスクを語る場で、国産セキュリティベンダーが“経済安全保障の当事者”として位置づけられたのは、とても大きな意味がある。
国のメッセージが変わりつつある
総務省・経済産業省の幹部の方々からは、国産エコシステムをどう育てるか
- 海外展開(特にASEAN)とどう結びつけるか
- 能動的サイバー防御において、民間とどう連携するか
といったテーマが語られた。
従来の「セキュリティ=規制・罰則・監督」という一方向の関係ではなく、「一緒にエコシステムを作っていこう」という双方向の姿勢が見えたのは、大きな変化だ。
当日は、会場の熱気に負けないくらい、メディアの関心の高さも際立っていた。会場後方には多くの記者が詰めかけ、ノートPCを叩きながら、こちらの一言一句を逃すまいとメモを取っていた。その日のうちに、複数のWebメディアが即座に記事を公開し、コミュニティ発足の狙いや国産セキュリティへの期待を伝えてくれた。
そして翌日には、日本経済新聞の紙面にも「国産サイバー対策 後押し」という見出しで記事が掲載された。自分のコメントや仲間たちの顔写真が並んでいる紙面を手に取った瞬間、これは単なる業界イベントではなく、「国産サイバーセキュリティ」に対する社会全体の期待値が、はっきり一段上がったのだと実感した。
2. 日本発セキュリティは、“技術”と“文化”の掛け算

見事だった、田上さんの“つなぎ”の技術
このパネルディスカッションを語るうえで欠かせないのが、ファシリテーターを務めたサイバートラスト株式会社 田上 利博さんの存在だ。
事前の進行台本はしっかり用意されていたものの、実際の議論は当然ながら“生もの”である。
それぞれのパネリストが、自社の経験や失敗談、将来への構想を語るなかで、田上さんは話の“熱量”が上がったところを逃さず深掘りし、会場の空気が少し重くなりそうな場面では、ユーモアを交えて和らげ、各人のコメントを「日本発セキュリティ全体の課題・強み」という視点に翻訳して、丁寧に言語化してくれた。
例えば、私たちが米国・欧州挑戦の「敗戦記」を語った場面では、単なる自虐トークで終わらせずに、「今のお話は、“技術では負けていないけれど、単独では戦いにくい”という、日本の構造的な課題を象徴していますよね。」と整理し、そこから「だからこそ、コミュニティによる連携が必要だ」という本題へと自然につなげてくれた。
また、議論が個別企業のプロダクトに寄りすぎそうになったときには、「今のお話を“日本的セキュリティの強み”として具体化すると、どうなりそうでしょう?」と問いかけ、「個社の話」から「日本全体の話」へスケールを上げる役割を果たしていた。 40分という限られた時間の中で、「産業構造」「技術」「文化」「海外展開」という重いテーマを、参加者が消化しやすいストーリーに編み直してくれたのは、間違いなく田上さんのファシリテーション力だと感じている。
「技術で負けたわけではない」
パネルディスカッションには、以下のメンバーが登壇した。
- 株式会社FFRIセキュリティ 代表取締役社長 鵜飼 裕司 氏
- エムオーテックス株式会社 取締役 兼 CISO 中本 琢也 氏
- IssueHunt株式会社 代表取締役社長 横溝 一将 氏
- そして私、ワンビ株式会社 代表取締役 加藤 貴
テーマは大きく三つ。
- なぜ今、セキュリティソリューションマップが必要なのか
- 日本発セキュリティの魅力
- 世界に向けて(特にASEAN)
議論のなかで、私が鵜飼さんに率直に問いかけたことがある。
「ズバリ、セキュリティ技術そのものでは、日本は遅れているのか、劣っているのか」
それに対して、鵜飼さんの答えは明快だった。
「技術や製品で負けたわけではない。日本の製品品質は高く、海外製品に劣っているとは思っていない」 世界最高峰のカンファレンスで発表し続けてきた研究者の言葉には重みがある。「日本は技術で負けている」という、ある種の“思い込み”が、ここで一度リセットされたように感じた。
「戦い方」で負けてきた10年
一方で、海外展開の話になると、空気は一変する。
中本さんも、鵜飼さんも、過去に米国・欧州など世界市場へチャレンジしている。しかし結論としては「成功とは言い難い」結果だった。
- 巨大プレイヤーがすでに市場を押さえていたこと
- 予算や人員の制約から、短期的な攻勢しかかけられなかったこと
- 一社で現地に乗り込み、ブランドもエコシステムもゼロから作らなければならなかったこと
つまり、負けていたのは「技術」ではなく「戦略と構造」だ。
私は冗談半分、本気半分で中本さんにこう問いかけた。
「MOTEXさんの資産管理、アメリカだと“ゼロトラストソリューション”として分類されるのでは?もし最初からそのカテゴリでマーケティングしていたら、シェアを取れていたかもしれませんね。」
既に市場が出来上がり、巨大企業がポジションを取った後から単独で乗り込んでいくのは、はっきり言って“ハードモード”だ。 私たちは、その現実も直視しなければならない。
「日本的セキュリティ」という価値
では、それでも日本が世界と渡り合える武器は何か。
議論を通じて見えてきたのは、「日本発セキュリティ=技術 × 文化」という構図だ。
- 誠実さ:ルールを守る、裏切らないという企業文化
- 安全へのこだわり:品質基準の厳しさ、障害を出さない設計思想
- 人を守る視点:単にシステム防御だけでなく、利用者や現場を考えた運用設計
ワンビの製品は、紛失・盗難時の情報漏えい対策が中心だが、根底にあるのは「人を責めるのではなく、人を守るためのセキュリティ」という考え方だ。
「ミスをした人を罰するためのログ」ではなく、「ミスをしても情報が漏れないための仕組み」を作ること。
これは日本独自の“守り方”であり、世界に対して訴求できる価値だと思っている。 横溝さんは、世界中の開発者が参加するオープンソースコミュニティの視点から、「国や企業の軋轢を越えたフラットな協力関係」の重要性を語ってくれた。若い世代が持つグローバルな感覚と、日本の“誠実さ”や“品質意識”が掛け合わさることで、新しい日本発セキュリティの形が生まれる予感がした。
3. コミュニティが描くのは、“日本版セキュリティ・エコシステム”
ソリューションマップ、日本版CIS、サイバーレスキュー隊…
今回発足したコミュニティ(NCPC)が掲げる施策は、多岐にわたる。
- 国産セキュリティ製品・サービスのマッピングとスコアリング
- 製品ごとの安全設定ガイド集約、将来的な日本版CISベンチマークの作成
- サイバーレスキュー隊構想(官民連携による初動対応・復旧支援体制)
- ASEANを中心としたジャパン・パビリオン構想
- 能動的サイバー防御・経済安全保障における政策提言と連携
一見、バラバラの施策に見えるかもしれない。
だが、よく見るとどれもが「日本のセキュリティを一本の物語にする」ための部品になっている。
ソリューションマップは、日本にはどんな技術・製品があるのかを“見える化”する土台だ。
日本版CISは、「日本発のベストプラクティス」を世界に発信するための共通言語になる。
サイバーレスキュー隊は、“罰するセキュリティ”から“支えるセキュリティ”への象徴だ。
「競合」から「協業」へ
従来、日本のセキュリティ産業は、どうしても“縦割り”になりがちだった。
- ウイルス対策
- EDR
- 資産管理
- 脆弱性診断
- クラウドセキュリティ
- 暗号・認証
…などなど。
市場が小さいがゆえに、同じ日本国内で“パイの奪い合い”をしている状況もあった。
しかし、サイバー攻撃は国境を軽々と越えてくる。単一企業の製品だけで守り切るのは、もはや不可能に近い。
だからこそ、今回のコミュニティでは、「競合から協調へ」というキーワードが掲げられている。
- どの領域を、どの企業が得意としているのか
- どの組み合わせなら、より強い防御線を張れるのか
- どこを共通基盤として標準化し、どこで差別化するのか
これを業界全体で議論し、地図にしていく。それがソリューションマップであり、日本版CISの取り組みだ。
4. ASEANで見え始めた「もう一つの需要」
「日本のセキュリティ製品を紹介してほしい」
パネルの最後のテーマは、「世界への展開」、特にASEANだった。
ここで私が強調したのは、最近ASEAN諸国から聞こえてきている率直な声だ。
「アメリカの支援が縮小し、中国製品の存在感が増している。
その中で、『日本のセキュリティ製品を紹介してほしい』というニーズが確かにある」
これは、日本にとって大きなチャンスだ。
- アメリカ一辺倒ではない、第三の選択肢としての日本
- 中国製品とも異なる、「信頼」と「透明性」に基づいたアプローチ」
- 既に高い評価を得ている、日本の通信インフラ・産業技術とのシナジー
単純に「製品を売りたい」という話ではなく、「日本と一緒にデジタル社会の安全を作りたい」という期待が、静かに高まりつつあると感じている。
通信インフラ × セキュリティ × 日本ブランド
日本は、通信・インフラ技術において、世界的なプレゼンスを持っている。もし、まだ5Gや次世代通信インフラを導入していない国に対し、以下がワンチームとなって提案できたらどうだろうか。
- 日本の通信キャリア
- 日本のセキュリティベンダー
- 日本のSIer・教育機関
「日本製の5Gネットワーク」と同時に、「日本製のセキュリティ基盤」「日本流の人材育成・運用ノウハウ」までを一つの“パッケージ”として提供する。
これこそ、私がイメージしている“日本国全体のエコシステム輸出”だ。
そのためには、もちろん政府の後押しが必要になる。しかし、それは補助金だけの話ではない。
- 国が受注するインフラ案件に、国内セキュリティベンダーをきちんと組み込むこと
- 国際協力の枠組みの中に、「サイバーセキュリティの条項」を明確に位置づけること
- 国内での実績を、海外案件で正当に評価してもらえるように制度設計すること
こうした“ルール面の後押し”こそが、日本企業を世界につなぐための強力な武器になるだろう。
5. “罰するセキュリティ”から“支えるセキュリティ”へ
ワンビ創業の原点
私はパネルのなかで、政府関係の方々に一つだけ強くお願いをした。
「罰則型のセキュリティ政策から、支援型のセキュリティ政策へと転換してほしい」
これは、ワンビ創業の原体験に深く結びついている。
2000年代半ば、日本では大きな情報漏えい事件が相次ぎ、世論の高まりを受けて、政府は「漏えいを起こした企業への罰則」を強化した。
その結果、何が起きたか。
- 企業はIT活用を萎縮させ、PC持ち出し禁止やリモートワーク制限へと向かった
- 社員一人ひとりに「ミスをしたら処罰」というプレッシャーがかかり、真に必要な“仕組みとしての対策”が後回しにされてしまった
こうした状況を見て、私は「罰するのではなく、守れるようにする仕組みが必要だ」という思いからワンビを立ち上げた。
うなずいてくれた来賓席
今回の発足式で、私は改めてその原点の話をし、「これからのセキュリティは、チャレンジする企業・自治体を支援する方向で考えてほしい」と訴えた。
その瞬間、来賓席に並ぶ政府関係者の方々が、大きくうなずいてくださったのが見えた。
政策はすぐには変わらないかもしれない。だが、少なくとも「方向性として共有できた」と感じられたことは、私にとって大きな希望だった。
6. 点と点がつながり、一本の“線”になった
発起人・萩原健太氏という“推進力”

今回のコミュニティ発足を語るうえで、どうしても触れておきたい人物がいる。
発起人であり、会の構想を最初に描いた萩原健太氏(GOFU 代表)だ。
まだ私も彼も若手だったころ、同じトレンドマイクロで働いていた仲間だった。
あの頃からすでに、彼は“技術の先を読む”感性と、業界全体を俯瞰する視野を持ち合わせていた。
トレンドマイクロを退社した後は、医療分野を中心に、セキュリティが社会基盤として機能するための仕組みに深くコミットしてきた。医療情報システムの脆弱性、病院ネットワークの安全性、人的オペレーションのリスク…。「テクノロジーと現場のギャップ」という最も難しい領域に、真正面から挑んできた人だ。
だからこそ、今回のNCPCの構想が発表されたとき、「ああ、萩原さんらしい」と強く思った。
国産技術をただ並べるのではない。企業の利害を越え、“日本として何を守り、どう世界に貢献するのか”を、あくまで社会の視点で再設計する。その思想が、今回のコミュニティ全体を通じて一貫している。
実際、パネルディスカッションのあとに行われた萩原さんの講演は、会の意義と未来像を、会場の誰もが腑に落ちる形で提示してくれた。
日本のサイバー産業が抱える断絶
官と民、製品と運用、企業と地域、国内と海外。
その“すき間”を埋められるのは、法律でも制度でもなく、同じ志を持つ人と企業がつながるコミュニティである。
この思想が、非常に萩原さんらしい。
そして今回、私自身がこの会に参加しているのも、彼が声をかけてくれたからだ。
同じ会社を出発点にして、別々の道を歩み、それぞれが自分のフィールドで積み重ねてきたものが、いま“国産セキュリティの未来”という共通のテーマのもとに再び集まってきた。
その偶然と必然の交差に、私はとても勇気づけられた。このコミュニティが、単なる業界団体ではなく、本当に日本のセキュリティ産業を前に進める“推進力”になると感じられた理由の一つだ。
最後に、この日の出来事を一言で表現するなら、こうなる。
「日本のサイバーセキュリティに関するバラバラな議論が、初めて一本の線としてつながった日」
- 経済安全保障というマクロの視点
- 国産技術のポテンシャルと課題
- 官民連携の新しいかたち
- ASEANをはじめとする海外展開の可能性
- そして、「罰するセキュリティ」から「支えるセキュリティ」への価値観のシフト
これらは、本来バラバラに議論しても前に進まないテーマだ。だがNCPCというプラットフォームが生まれたことで、「すべてを一本の線で語れる場所」ができた。
さらに、その線はすでに広がりつつある。
- 地方自治体のセキュリティ向上
- 日本企業の海外展開支援
- 女性 × セキュリティ × 教育という新しい人材モデル
- 国産技術への信頼回復と認知拡大
これらは一見、別々のテーマに見える。しかし、よく見るとすべてが、「日本のセキュリティが社会の挑戦を支え、世界とつながるためのピース」だ。
2025年12月9日。
この日は、単なるコミュニティ発足記念日ではない。
日本のセキュリティ産業が、「守る力を、興す力へ。興す力で、世界を導く力へ」変えていくためのスタートラインとして、長く記憶される日になるだろう。
そして、その物語の一端を、ワンビとして、また一人のプレイヤーとして担っていけるなら、これほど嬉しいことはない。
参考:本件を取り上げた主な記事
– 日本サイバーセキュリティ産業振興コミュニティ(NCPC)設立、国産セキュリティ産業育成
