VPNだけではもう守れない。境界防御の崩壊と中小企業から始める「現実的な」ゼロトラスト入門

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テレワークの普及やクラウドサービスの活用が当たり前となった今、「VPNさえ繋げば安全」という従来の常識は大きく揺らいでいます。実際に境界防御モデルでは守り切れない脅威の増加を肌で感じている方も多いのではないでしょうか。VPN装置の脆弱性報告も相次ぎ、運用負荷の高まりに不安を抱える企業が増えつつあります。

一方で、「ゼロトラスト=高額かつ大掛かりな刷新が必要」という誤解もよく耳にします。しかし実際には、既存の仕組みを活かしながら段階的に移行するだけでも十分に効果を得られます。すべてを一度に変える必要はありません。

本記事では、中小企業が無理なく取り組める「現実的なゼロトラスト入門」として、今日から始められるステップと導入の考え方を情シス視点で解説します。境界防御の限界を理解しつつ、既存資産を活かしながら安全なIT環境へ移行するための道筋を紹介します。

なぜ今、「VPN中心の境界型防御」が危ういのか?

長年、日本企業では「社内ネットワークは安全」という前提のもと、社外との境目に堀を築くように守る境界防御モデルが主流でした。しかし、クラウド活用やテレワークが日常となった現在、この前提そのものが大きく揺らいでいます。この章では、境界型防御では対応しきれない現代の環境変化を整理しながら、ゼロトラストの必要性を理解しやすい形で解説します。

「境界防御」と「ゼロトラスト」の決定的な違い

境界防御は、社内を「信頼できる安全な空間」、社外を「危険な領域」と区別する考え方です。いわゆる「城と堀モデル」であり、VPNはその堀を渡るための安全な通路として機能してきました。しかし、クラウドサービスや外部委託先、モバイルワークが拡大したことで、従来の堀では囲い切れない領域が広がっています。

これに対しゼロトラストは、「社内外を問わず、何も信頼しない」という前提に立ちます。すべてのアクセスを毎回検証し、ユーザー・端末・ネットワークの状態を総合的に判断してアクセスを許可します。信頼の判断が境界ではなく「個々の通信」に移った点が決定的な違いです。この思想の転換こそが、現代の攻撃に耐えられる防御の基盤となります。

VPNが抱える構造的なセキュリティリスク

VPN自体が悪いわけではありませんが、その仕組みには現代の脅威モデルに対して弱点が存在します。ひとつは、VPN装置が攻撃者に狙われやすく、脆弱性対応のパッチを適切に適用し続ける必要がある点です。専任の担当者が少ない中小企業では、このパッチ管理が重荷となり、更新遅延がリスクとして蓄積されやすい状況にあります。

さらに深刻なのが「水平展開」のリスクです。VPNが突破されると、攻撃者は社内ネットワーク全体へ自由に移動できてしまいます。内部に侵入した後の検知や制御が難しいため、メールサーバやファイルサーバなど複数のシステムが被害を受ける可能性が高まります。これらの構造的なリスクは、境界防御だけでは十分に対応しきれないことを示しています。

クラウドシフトによる「境界の消失」と可視性の低下

近年、多くの企業がクラウド型グループウェアやSaaSに業務データを移行しています。電子帳簿保存法や脱ハンコの流れも後押しし、社内にデータが存在しない状態すら珍しくなくなりました。つまり、守るべき資産が境界の内側にないため、境界で守るという従来の前提が成立しなくなっているのです。

また、クラウド環境は企業ネットワークの外側に存在するため、境界防御ではアクセスの可視性が大幅に低下します。誰がどこから何にアクセスしているのかを正確に把握できなければ、適切なリスク管理はできません。クラウド活用の進展そのものが境界防御を形骸化させている点は、多くの企業が直面する実務的な課題となっています。

中小企業が押さえるべきゼロトラストの「3つのコア要素」

ゼロトラストは範囲が広く、全体を一度に理解しようとすると複雑に感じてしまいます。そこで、押さえるべきポイントは「ID」「端末」「ネットワーク」という3つの基盤的要素となります。この3点を最初に固めるだけで、ゼロトラストの効果の大部分を得ることができます。

ID管理・認証(Identity)|すべての起点は「本人確認」

ゼロトラストの中心にあるのは「正しいユーザーであるか」の厳格な確認です。

ユーザー認証の品質が低いと、どれだけ他の対策を強化しても攻撃者に突破される恐れがあります。IDaaS(クラウド型ID管理)を活用することで、ユーザー情報の一元管理やアクセスルールの統制が容易になります。また、多要素認証(MFA)は実装コストが低いにも関わらず、高い防御効果が期待できます。IDとパスワードだけに頼らず、端末認証やワンタイムコードなどを組み合わせることで、不正ログインのリスクを大幅に低減できます。

さらにシングルサインオン(SSO)を導入することで、ユーザー体験とセキュリティを両立できます。ログイン回数が減るため現場の負担も軽くなり、結果として運用全体が滑らかになります。ゼロトラストの第一歩は、IDを中心とした信頼の仕組みを固めることから始まります。

エンドポイントセキュリティ(Device)|PCそのものを守る

続いて重要になるのが、業務に利用するPCやモバイル端末の安全性です。

従来のウイルス対策ソフト(EPP)だけでは、侵入後の攻撃を防ぎきれない状況が増えています。特にランサムウェアなどは、侵入の兆候を早期に検知し、対処まで行える仕組みが不可欠です。この観点からEDRの導入が重視されるようになっています。EDRは端末の挙動を監視し、不審な動きを検知すると即座にアラートを出すことで、被害の拡大を抑えます。

一方で、いきなり高価なEDRを導入するのは負担が大きい場合があります。そのため、まずは端末の台帳整備やOSの更新状況、パッチ適用の有無といった「端末の衛生状態」を見える化をするところから始めるのが現実的です。端末そのものを信頼できる状態に保ち続けることが、ゼロトラストにおける要となります。

ネットワーク制御・可視化(Network/Cloud)|場所を問わないアクセス制御

最後の要素は、ユーザーがどの場所からアクセスしても安全性を維持できるネットワーク環境です。

クラウド利用が一般化した現代では、ユーザーが社外から直接クラウドサービスへ接続するケースが日常的になっています。この流れに合わせて注目されているのが、ZTNA(ゼロトラスト・ネットワークアクセス)と呼ばれる仕組みです。ZTNAでは、ネットワークそのものを信頼せず、ユーザー単位・アプリ単位でアクセスを判定します。

これにより、VPNのようにネットワーク全体が一度に開放されることがなく、侵害された場合でも被害を局所化できます。また、通信自体の可視化が進むため、不正アクセスの兆候や利用状況を把握しやすくなります。場所に縛られず安全に業務ができる環境を整えることが、ゼロトラストのネットワーク領域における中心的な考え方です。

「いきなり全導入」は失敗の元!現実的な段階的移行ステップ

ゼロトラストという言葉を聞くと、「既存システムをすべて入れ替える必要がある」と誤解されがちです。しかし、実際には段階的に整備していく方が成功率は高く、コストも抑えられます。この章では、既存の資産を活かしながら無理なく前進するための3つのステップを紹介します。

ステップ1:ID管理の統合と多要素認証の導入(低コスト・高効果)

ゼロトラスト移行で最も優先すべきは、ユーザーIDの統合と多要素認証の導入です。

複数システムにアカウントが散在している状態では、退職者のアカウントが残ったり、弱いパスワードが利用されたりするリスクが高まります。IDを統合するだけで、まずこの問題が解消されます。多くの企業では、すでに契約しているクラウドオフィススイートにID連携機能が含まれており、新たに高額なツールを追加しなくても、MFAやSSOを実現できます。MFAを必須化するだけで不正ログインの大部分は防げるため、最小の投資で最大の効果が得られる領域です。

ステップ2:資産管理とエンドポイントの衛生管理(可視化)

次に重要となるのが、端末の見える化と基本的な衛生管理です。

誰がどのPCを使っているのかが曖昧な状態では、ゼロトラストの前提となる「端末の安全性を確認する」工程が成り立ちません。まずは利用端末を正確に把握し、OSやアプリケーションのパッチを適切に適用する仕組みを整えることが重要です。EDRのような高度な仕組みは理想ですが、その前に端末状態の可視化を行うだけでもリスクは大幅に減少します。既存ツールやクラウド管理機能を活かし、台帳管理から始めるだけでゼロトラストへの土台を築けます。

ステップ3:脱VPNに向けたリモートアクセス環境の刷新

最後のステップとして、VPN依存からの脱却に向けたリモートアクセス環境の改善を行います。

全社一斉にVPNを廃止すると現場に大きな混乱を招くため、まずは影響の少ない部署や特定の業務システムからZTNAなどを試験導入する方法が適しています。徐々に適用範囲を広げることで、運用上の課題を最小限に抑えつつ脱VPNを進められます。多くの企業では、当面はVPNとZTNAを併用するハイブリッド運用が現実解となります。段階的に試しながら移行できることが、ゼロトラストの本質であり成功の鍵です。

中小企業が陥りやすい「なんちゃってゼロトラスト」の失敗例

ゼロトラストは本来、「運用」と「設計」を軸にした考え方ですが、ツール導入が目的化してしまうと失敗しやすくなります。この章では、特に中小企業で起こりやすい誤った導入パターンを整理し、どこに落とし穴があるのかを明らかにします。

ツール導入自体が目的化し、運用が回らない

ゼロトラスト関連の製品は多機能で、導入すれば守れる範囲が広がったように見えます。しかし、運用体制が整っていなければ、逆にリスクが増すことになります。

中小企業などでは担当者がひとり、あるいは兼務の場合も多く、膨大なアラートを処理しきれない状態になりやすい傾向があります。アラートが鳴り続けても確認が追いつかなければ、「何も見ていない」のと同じです。本来必要だったのは高機能ツールではなく、自社に見合った運用プロセスの整備だったというケースは少なくありません。必要に応じてSOCのような外部運用サービスを活用する選択肢も考えるべきです。

ユーザーの利便性を無視して「ガチガチ」にしてしまう

セキュリティ強化を意識するあまり、利用者の利便性を犠牲にしてしまうケースもよく見られます。複雑なログイン手順や、業務に必要な操作まで禁止してしまう設定は、実態として生産性の低下を招きます。

結果として、社員が個人クラウドやUSBメモリを勝手に使う「シャドーIT」が発生し、かえってリスクが増大するという本末転倒が起こります。ゼロトラストは「厳しくすること」ではなく、「安全に使える環境を提供すること」が目的であり、そのためには利便性とのバランスを丁寧に調整することが欠かせません。

既存のクラウドオフィススイート機能を活用できていない

すでに契約しているクラウドオフィススイートには、条件付きアクセスやMFA、デバイス制御など、ゼロトラストの中核となる機能が標準で含まれている場合があります。それにもかかわらず、これらの機能に気づかずに別のツールを追加購入してしまう企業は少なくありません。

これはコスト面で無駄が生じるだけでなく、本来であれば既存環境内で完結できた運用が複雑化する原因にもなります。まずは既存ツールの機能を正しく理解し、使えるものは最大限活用した上で不足部分を補うという順序を守ることが重要です。

経営層に「ゼロトラストへの投資」を承認させるための説得ロジック

現場がどれだけ危機感を抱いていても、経営層の理解と承認がなければ投資は進みません。特に中小企業では、セキュリティ投資は「コスト」と見られがちで、必要性が正しく伝わらないケースが多くあります。この章では、経営層が納得しやすい観点に翻訳して伝えるためのポイントを整理します。

「保険」ではなく「事業継続(BCP)」の観点で語る

セキュリティ強化を「万一に備える保険」と説明してしまうと、経営層の優先度は高まりにくいものです。

近年、ランサムウェアによる被害額は増加しており、業務停止が数日続けば中小企業では致命的なダメージになります。復旧費用だけではなく、顧客信頼の低下や取引停止といった二次的損害も大きな影響を及ぼします。これらを踏まえると、ゼロトラストは「何かあった時のための保険」ではなく、「ビジネスを止めないためのインフラ投資」と捉えるべきものです。経営層には、投資の有無が業務継続に直結することを具体的な例とともに示すと伝わりやすくなります。

働き方改革・採用強化への貢献をアピールする

ゼロトラストはセキュリティ対策であると同時に、企業の働きやすさを高める仕組みでもあります。

例えば、「どこからでも安全に仕事ができる」環境が整えば、テレワークの推進や生産性向上に繋がります。さらに、柔軟な働き方を提供できる企業は採用市場での魅力が高まり、優秀な人材の確保に有利です。「セキュリティを強化すると使いづらくなる」という従来の印象を払拭し、「安全で快適な働き方を支える投資」であると説明することで、経営層の理解が得やすくなります。

まとめ

本記事では、境界防御の限界が明確になった現代の環境において、中小企業がどのように「現実的なゼロトラスト」へ移行していくべきかを紹介しました。VPN中心の防御が通用しなくなった背景を踏まえつつ、ID・端末・ネットワークの三つを整えることが基盤であると解説しました。さらに、段階的に取り組むステップや失敗しやすいポイント、経営層に投資を承認してもらうための訴求方法についても説明しました。ゼロトラストは一気に完成させるものではなく、既存の仕組みを活かしながら少しずつ成熟させていく取り組みです。今日から始められる範囲で整備を進めることが、確かなセキュリティ強化につながります。